古朝鮮

古朝鮮の本来の名前は朝鮮ですが、李氏朝鮮と区別するために、檀君朝鮮(王倹朝鮮)・箕子朝鮮・衛氏朝鮮(衛満朝鮮)の3国家のことを古朝鮮と呼んでいます。

中国の「管子」「戦国策」「史記」などの古い歴史書に、初めて朝鮮という名称が記録されています。これらの歴史書は紀元前6,7世紀、または3,4世紀の内容を記録してますので、国家としての古朝鮮は、紀元前6,7世紀ごろに存在していたと考えられています。

檀君神話では、檀君は、平壌を最初に都としたとされていますが、現在の平壌ではなかったと思われます。神話が記録されたのは、ずっと後のことですし、地名が変わったり、同じ地名がいろいろな場所で使われたりすることはよくあることだからです。

古朝鮮の成立と発展過程は青銅器文化の発展過程とおおよそ一致してい考えられています。中国の遼東地方を中心として、朝鮮半島の西北部に至る地域で、韓国の代表的な初期青銅器である琵琶型銅剣が主に出土しています。これらの事実と、青銅器の遺物、遺跡分布、文献の記録を総合すると、古朝鮮の中心地は遼東地方と考えれます。

この地域を中心にして成長した古朝鮮が、最初に中国と衝突をしたのは、戦国七雄の燕との対立のときでした。紀元前4世紀末から3世紀初に最も勢力が強かった燕の進行により、古朝鮮は西側の一部地域を一時期失いましたが、後に取り返しました。

その後、古朝鮮は、中心地を平壌付近へと移動したと思われます。遼東地方の琵琶型銅剣を継承した細形銅剣が遼東地方では出土せず、朝鮮半島地域で主に出土されているからです。古朝鮮は、初めは遼東地方を中心としましたが、平壌付近へと移動し、細形銅剣文化を発達させた考えられます。

紀元前3世紀末、中国では、戦国の混乱の中、秦が統一しました。この過程で、中国の流浪民たちの多くが、古朝鮮に移住し、衛満が古朝鮮に亡命しました。漢の劉邦が楚の項羽を撃退し、中国を再統一した直後のときです。

当時、古朝鮮は準王が支配していましたが、準王は、衛満に西側100里の土地を与え、その地域を守らせました。衛満は、この地で勢力を伸ばし、紀元前194年には、逆に準王を追い出し王位を奪うことになりました。このときからを、檀君朝鮮と区別し、衛氏朝鮮と呼ばれています。

衛氏朝鮮は鉄器文化を受容しさらに発展しました。衛氏朝鮮は部族連盟形態の国家組織となり、王の下に相、大夫、将軍などの官職を置き、対外的には、防衛のための強力な軍隊を育成するようになりました。さらに、衛満の孫、右渠王のころには、中国漢にとっても、最も強力な敵対国として登場するようになりました。

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